(「ほようかんさい」のホームページより http://hoyoukansai.net/abouthoyou.html)
ほよう(保養)とは、原発事故で放射性物質による影響を受けた地域に住む人々や、暮らしの中で放射能の不安を抱えることになってしまった人々などが、休日などを利用して居住地から受け入れ地へ出かけて、放射能に関する不安から一時はなれて心身の疲れを癒そうとすることを言います。
保養が人々の健康によい効果を与えることは、世界的に知られています。医学的には、放射能の影響があまりない地域で一定期間過ごすことによって、免疫力が大きく高まるなど健康面で効果的であることが分かっています。
原発事故によって外遊びや自然体験の機会が減った子どもたちにとっては、子どもらしくのびのびと遊べる時間と場所を提供できるので、心理面での負担軽減にも効果があると言われています。
おとなたちにとっては、心身を休めたり、不安を語り合ったり、情報交換をしたり、人間関係を広げたりする機会となります。大人の精神的な安定が子どもたちの育ちに影響を与えることを考えれば、おとなも不安から離れてほっと一息つけることには大きな意義があると言えます。
他人ごとやない! ほっとかれへん!
2011年3月11日、東日本大震災、福島第一原発事故 …被災した子どもたちと過ごす「保養」の活動が全国で始まった。子どもたちを受け入れ、泣き笑いを共にした、関西各地の〈おせっかいな〉人々の10年の記録である。
一つひとつの保養キャンプを実現するため、年齢も、職業も、立場も、何もかも違う多くの人たちが集まりました。安全な食品を生産・流通させる仕事をする人、フリースクール関係者、大学生、医療従事者、子育て中の人、福祉関係者、労働組合の人などなど、震災と原発事故に突き動かされたさまざまな人々が集まりました。
資金を集め、宿舎を確保し、食材を集めて、ボランティアを募り、参加者の子どもたちを関西へ招き、何十人分もの食事を調理して提供し、楽しいプログラムをたてて、子どもたちを見守り、保護者と関係をつくりました。子どもたちのけんかの仲裁をして、参加者一人一人と向き合って、仲間同士ぶつかり合って泣いて、新しい出会いや子どもの成長に感動して喜んでまた泣いて。
そんな活動が10年間続いてきたというこの事実が、いずれ忘れられてしまって、なかったことになってしまったら大変だ、と思いました。(「はじめに」より)
当事者のための「第三の選択肢」
原発事故後の住民たちの対応は、「避難」か「在住」かの選択にとどまらない。
たとえ在住を選んでも、すべての人が追加被ばくを受け入れたわけではないからだ。
事故によって権利を侵された人々が、これ以上リスクを押しつけられないために。
「保養」支援の現場に立ち続けてきた著者が問う、日本社会の現実とその未来。