親の声

 

 

 

2011年

東日本大震災の年。

甚大な津波被害、そして東京電力福島第一原発の事故…。

その年の夏、手探りで、無我夢中に実施した第一回めのたこ焼きキャンプ。

親も子も、スタッフもせっぱつまった思いでした。

 

★よく日に焼けた様子、新幹線がホームから出て行ってしまうのを、名残惜しそうにずっと手を振り続けていたこと、涙をこぼしてしまう子どもたち。そんな様子に、話を聞かずとも、とてもすてきな時間を過ごしてきたのだということがわかりました。 

 

★ 夕食を取りながらぽつりと、「あ、これからは放射線に気をつけなくっちゃ!」と、娘が言った一言に、一気に現実に引き戻されました。でも、皆さまのご尽力により明石で2週間過ごせたことで、震災以来、体にも心にも澱のように静かに溜まっていた物がリセットされたと思っています。 

 

★ せめて夏休みだけでも積算被爆量を抑えたい、思い切り外で遊ばせてあげたい! と、わらにもすがる思いで参加させていただきました。 今の福島ではあり得ない、とても贅沢な日々を過ごさせていただきました。息子は「福島ではダメだけど、明石では地面に触っても大丈夫なんだよ」と教えてくれました。とても楽しかったようで、「大きくなったら明石に住みたい。外で遊べるから。」とも。夏休みの宿題にも、 明石のことばかり書いています。 

 

★《放射能の心配がない所へ連れて行ってあげたい》《お外で思いっきり遊ばせてあげたい》という思いで参加した今回のキャンプですが、その思いはもちろん、それ以上に得るものが沢山あった実り多い2週間でした。家庭の事情もあり、避難はせず、この生まれ育った福島で頑張る私達ですが、遠い明石から応援してくれたり、見守ってくれている方が沢山いて下さると知り、とても心強いです。

 

無事に帰ってきた事を喜びつつ、また福島の生活をさせなくてはならない辛さと、仲間と呼べる友と離れる事に涙する娘の姿に、いろいろな感情の涙が止まりませんでした。でも自分の子どもを守れるのは自分たちですから、何を言われても自分を信じ、守りぬきます。こんなにたくさんの愛をくださったことに、私たちもがんばらなくちゃと心から思いました。

 

 


2012年

原発震災から2年目の夏。

昨年の実施地の明石公園内の施設に加え、兵庫県佐用町にも移動して実施しました。

佐用町は、2009年に水害で甚大な被災をした町。

町長さんはじめ商工会議所青年部のみなさんが協力してくださり、幼稚園の方々が歓迎会を催してくださるなど、町ぐるみで応援してくださいました。

●「また、放射能があるんだね。」

長期にわたり、福島を離れ、安心して外で遊べた日々。福島に戻り、子どもたちの口から先ほどの言葉が出るなんて…悲しいですね。震災から一年半。少しずつ、目に見えない放射線のことなど関係ない、気にしない、そんな雰囲気になっているように思います。残念でなりません。来年もぜひ、キャンプを続けていただけたらと思っています。(小5、小3きょうだいのお母さん)

 

 


2013年

この年は、明石少年自然の家に泊まり、海で遊んだ後、初めての宿舎となる「姫路カトリック・淳心の家」に移動しました。

海に引き続き、専用プールで子どもたちはめいっぱい遊ぶことができました。

姫路では何人かのお母さんが、教会の方が主催した講演会に登壇し、福島の親の想いを語ってくれました。

 

●当時は無我夢中でとりあえず遠くへ、外で遊ばせたい、何もかもがダメだよって我慢の日々から少しでも抜けさせてあげたい気持ちでキャンプに参加させていただきました。あのころの異常な生活に子供なりに押しつぶされそうなときに出会ったたこ焼きキャンプはとても大きく、自分の居場所がもう1つあるというか、気持ちの変化が大きくあったのだと感じています。娘にとって大切な仲間以上の家族のような存在なんだなと思います。(小4のお母さん)

 

 

●子どもたちを放射能から、その影響が少ないようにと配慮してくださった、この保養キャンプ。事故直後に思ったことは「とにかく子どもだけは、遠方で保養させたい!」ということでした。その親の思いに応えてくださったこと、しかも子どもは思い切りあそび、学び、成長しました。感謝の一念です。(小6のお母さん)

 

 


2014年

この年、初めて神戸市内の個人宅(大きな広間がある)を宿舎としてお借りすることができ、神戸須磨で約一週間、その後姫路・淳心の家で約一週間、という安定した形での実施ができるようになりました

 

●震災から3年がたち、少しずつ平穏な日常に戻りつつありますが、外遊びを積極的に出来ていないのが現状です。子供達の貴重な経験を手助け頂き、心から感謝しております。帰ってきてからすぐにまた行きたい!!と言ってしまう程でした。(小1・小3のお母さん)

 

●娘がこんなにも全身全霊で楽しんですごせるたこキャンの保養は、そうであるがゆえ、心身共に、健康をとり戻せる、まさに保養の場になっていると感謝の一念です。今後もずっと継続していただければ…と希望します。(中1のお母さん)

 

 


2015年

子どもたちと共にキャンプを創るための「中だこ会議」が始動し、そして親の会「たこ焼きキャンプFUKUSHIMA」が本格的に活動を開始した年でした。

 

●震災から4年、少しずつ忘れられてもおかしくないのにもかかわらず、こうして福島の子どもたちに寄り添い、心から迎え入れて下さって本当にありがたく思っています。

人の心の温かさ、優しさ、助け合う気持ち、そういう部分も子どもに伝われば良いなあと思います。本当に感謝で胸がいっぱいです。(小3のお母さん)

 

●私達は多くのものを失った中で生活をしています。そして支援して下さる方々とのつながりの中から、多くのものを得ています。子どもたちは人とのつながりの中から、多くの事を学ばせて頂きました。沢山の貴重な経験をさせて頂きまして、ありがとうございました。子どもたちを通して、私達も支えて頂いているのだと感じる事ができます。(小5のお母さん)

 

 


2016年

この年あたりから、子どもたちの顔ぶれが変わり、「第二世代」とも言える小学生高学年の子たちがたくさん参加しました。

震災当時幼かった子どもたちと共に、「子どもが主体となって作るたこ焼きキャンプ」の模索が続きます。

 

●あの震災から5年以上たった今でもこうしてあたたかく福島の子供達を迎えて下さり、本当に感謝しています。きれいな空気の中でお友達とたくさん遊んでこれた事だけでもありがたい事ですが、息子は今年のキャンプでこんなにもたくさんの人達に支えてもらっているんだという事を感じる事が出来たようです。このキャンプで得た事は、一生の宝物になるはずです。たこ焼きキャンプを支えて下さっているすべてのみなさんに感謝しています。(小5のお母さん)

 

 


2017年

須磨の海で泳ぎ、姫路・淳心の家のプールや広場で遊び、手作りの夏祭りを楽しむ。

毎日の食事を子どもたちが自分たちで考えて協力して作る。

そうした共同生活の中で、「子どもたちが成長した」という親の感想をありがたく受け取りつつも、その感想のあちこちに、まだまだ続く被災の現実を感じました。

 

●2人とも、何が楽しかった?と聞くと口を揃えて「全部!!」というので、本当にたこキャンが大好きなんだなとその一言でわかります。あとは、郡山駅に着いた時の2人の表情には毎回心がやられます…。特に息子は普段涙を見せるような子ではないので、その時の涙にはさすがにいつもグッときます…。(郡山市/小4・小5の母)

 

●震災から6年たち、原発の事故はだんだんと薄れた記憶になっているような感じを受けます。『福島で子供の甲状腺がんが頻発している』とのニュースにも、色々な意見があり、その中で生活している私たちは、何を信じて良いのか不安になりながら毎日生きています。正確な情報が欲しいです。福島ではできない、野外で汗を流し、子供らしい遊びをたくさんさせて頂くことができる保養キャンプは、とてもありがたいです。(郡山市/小6の母)

 

●毎年毎年、本当に良くしていただいて、ありがとうございます。なかなか簡単に行ける距離ではありませんが、いつの日か、兵庫県を訪れてみたいと夢見ています。

親、家族から離れ、ひとまわりもふたまわりも大人になって帰って来る我が子。スタッフ・ボランティアさんの愛情たっぷり♡の、やさしさたっぷりの「たこやきキャンプ」に参加することが出来て、心からうれしく思います。(福島市/小1・小5の母)

 

●震災から6年もたちましたが、すべてが元にもどったわけではなく、今もなお学校や公園にある線量計の数値を気にしながら、その場所で子供達が無邪気に遊ぶ姿を見ると何とも言えない気持ちになります。だんだんと震災の記憶もうすれつつあり…そんな中でも年に一度ではありますが、子供達がおもいっきり外で遊び回り、土や木や草、海を感じられることがとてもありがたいです。

 

●甲状腺検査、ホールボディーカウンターによる検査、線量計の案内、知らせが来るたびに、震災の時を思い出し、今後への不安な気持ちになる。震災後に生まれた子にも、どう話していけば良いのかと考えてしまうとつらくなる。保養キャンプを通していろんな人と出会い、ふれあうことで、明日、将来への活動力となるので、今後も続けていってほしいです。

 

 


2018年

●今年も大変お世話になりました。娘は毎回参加するたびに全力で楽しんでくるようで、郡山に着くたびにみんなと離れたくないと大号泣…。思い出しては泣きながら寝るを3日間ほどくり返してました。ボランティアをしてくれているみなさん、スタッフのみなさん、ほんとうにありがとうございました。家族のように接してくださってるのがよくわかります。(郡山市/小5の母)

 

 

●震災はとても昔に感じられますが、今年になりわが家のすぐ近くの、子どもたちの遊んでいた広いグラウンドは各家庭の庭に埋められていた汚染土の仮置き場となり、高い塀で囲まれたくさんのトラックが来るようになりました。子どもたちが遊んでいたグラウンドは年内使用できません。地域の夏まつりや運動会も、狭い他の場所で行いました。

たくさんの自然とふれあい、なかなか行けない海、たくさんの貴重な体験ができること、ほんとうにありがたいです。大変だと思いますが、保養キャンプを続けていただけること、とても感謝しています。

(小3・小5の母)

 

●実際に子どもを保養キャンプに参加させて、ものすごく重要で、子どもの成長のために必要なことだと思いました。なかなか普段の生活で出来ないこと、知り合えない人、そういった経験が子どもたちの成長に必要であって、今の時代の中で難しいことである。これからの子どもたちのために、国や県・市が保養キャンプをもっと支援してくれればと思いました。(郡山市/小5の母)

 

 


2019年

●暑い中、子供たちへの見守り、食事、洗濯等々、本当にありがとうございます。そして、お疲れ様でした。子供たちが素の状態で元気いっぱいに遊び、学び、眠る事が出来る環境を与えて頂いたおかげで普段では経験出来ない実体験をし、成長に繋がってきてると思います。(郡山市/小6の母)

 

●(今では)普通に外遊びさせていますが、周りで汚染土を掘り起こしている地区があったり、山に囲まれているため子供達が線量の高い場所で遊んでしまうのでは…と正直不安です。(一方で)人とのつながりが増え、震災後、本当にたくさんの方々に支えられて生活しています。心から感謝です。(福島市/小3の母)

 

●帰宅後は楽しかったいろんな思い出が溢れだし、大泣きしていました。キャンプに参加するごとに、充実感とスタッフやボランティア皆様のサポートによりたくさんの経験をすることができました。ありがとうございます。私たち親子にとって大変な宝になり、これからの未来にこの出会いがあるから、前を向いて踏み出していけるでしょう。(郡山市/小6の母)

 

●震災当時、「福島出身」ということで、子どもたちの将来に不安がありました。たこ焼きキャンプの活動を知り、参加させていただき、その不安が減り、子どもたちもスタッフ・ボランティアのみなさんにお世話になり、楽しい思い出もでき、将来悲観的にならないと思います。被ばくの低減と心の健康にも寄り添っていただき、感謝の気持ちでいっぱいです(郡山市/小5の母)

 

 


2022年

新型コロナ感染拡大のため、2年にわたり中止を余儀なくされた後、感染対策を施した上、初めての試みである親子参加型の保養『たこ焼きキャンプ 親子で夏休み』として再開することができました。

春には、スタッフが福島に赴き、これまでの参加者と再会する行事も行いました。

福島の親子との交流は連綿と続きます。

 

●私の息子が、たこ焼きキャンプ(子どもだけの保養)から帰って来た時に、いつもキラキラした目をして帰って来ました。一体どんな感動があるのだろうと不思議だったのですが、この度キャンプに参加させて頂き、その謎が解けました。

 まず淳心の家が自然豊かな空間と、広大な敷地が出迎えてくれます。そして、スタッフの皆さまとの時間は、温かく深く癒されました。

 

●震災から10年以上たちコロナの影響もあり話す機会が少なくなったが今の心持ちを話すことが出来ました。

 

●11年過ぎましたが、今も不安を抱える友がいます。子供達に蓄積されたセシウムはいつか病気を招かないか…また子供達だけではなく、周りで増えている大人のガン患者なども影響があるのではないかと。

 

大きな地震が来ると、まずは原発が心配になります。けど、今は、このコロナ(騒動)の方が、どうにかなりませんか?という気持ちが大きいです。行動規制で一番可哀想なのは、子どもたちかと思います。部活の大会が前日に中止になったり、運動会が中止の学校もあったし、給食は黙食だったりと、ここ2〜3年は、学校生活に思い出がない子が多いのでは?と思います。

 

●原発事故があり廃墟と化した街は、今も変わりなく存在しています。人々の大切な日常が奪われて、11年が経ちます。しかし、政治は収束の見込みのない原発に蓋をして、再び原発再起動へと舵を切りました。私はこの地震列島にあって、原発を推進する事は自殺行為であると思います。一度事故を起こせば、人々の日常が奪われるのです。

 私達はあまり日常の大切さは気がつきません。しかし、実は人間には日常こそが、何より大切なのではないでしょうか。